兄は自己犠牲の精神を忘れずに、と価値観

タイトルの「兄」を「あに」から変換しようと思ったらいきなり「アニ」と変換されてしまい、自分のパソコンながらイタイと思ってしまった今日この頃。皆さん祝日をいかがお過ごしでしょうか。
祝日だったのでのんびりアニメがみれました。今回は俺の妹がこんなに可愛いわけがないをピックアップ。
BS11以外では基本的に5話まで終わりましたね。このブログで感想を書いたのが1話なので4話分感想を書くのを放棄したことになってましたね。駄目な自分です。さて挽回するためにもしっかり書いていきましょう。
4話分共通してポイントとなるのがタイトルにもある「兄の自己犠牲精神」ですね。2話では妹の友達作りのためにメイド喫茶にいってみたり、3話では妹の代わりに変態アピールして親父に殴られたり、まぁ4話についてはもう少し何かやり方があったのではと思いますが(結果的にあんな可愛い妹の胸もむことが出来たんだろ?死んでも良いんじゃないの?)。そして何より5話。妹と親友の絆を取り戻すために調査して妹をかばった結果、変態のレッテルを貼られるという、なんとまぁかわいそうな、同じ妹を持つ兄貴の立場としては、気の毒になるくらいでしたがね。
しかしあやせはどのお話をとっても、兄の行動の理由をしっかり理解してることが分かりますね。5話なんかでもおおウソつきなお兄さんなんてかわいらしいメール送ってますし、良い子ですよね、あやせ。ちょっと桐乃への友達としてのベクトルが強すぎるだけですね。まぁそこが彼女の個性みたいな所もあるんですが。

5話で桐乃のこんな発言がありました「さんざんほったらかしにしといて、今更兄貴面すんな!」。重たい一言ですね。多分京介もこれについては少し思うとこがあってこれだけ身を犠牲にしてるのだと思いますが、妹の口からこの言葉を聞くと驚いてましたね。少しずつ兄妹のわだかまりが解けてきている証拠ではないでしょうか。(ようするにデレ始めているってこと)3話以降5話で両親も理解してくれてるのも分かりましたしこれからもっと話が進むごとに兄妹の仲が良くなっていけばいいですね。
このアニメの訴えてる物の一つに「個人の価値観」というものがあります。それが顕著に出たのが2話の加奈子の「あー、オタクうぜぇ」という台詞。世の中的にオタクというものがどう見られているか?ということを取り上げています。これは3話で両親が、5話ではあやせが言っていたことですが、やはりあの手のアニメ・ゲーム・マンガは悪影響を及ぼす物という認識があるんですよね。だからそれをやっちゃいけない、してる奴はダメなやつという認識が発生します。なおかつ現代では気持ち悪がられ、うざく思われるという訳です。
ここから生まれる疑問は「じゃぁ、その趣味がその人の全てなのか?」ということです。作中でも京介が言っています。あの趣味が好きな桐乃を含めて初めて桐乃という人物が構成されるのです。桐乃本人も5話にてあやせの言う偽物の桐乃とは何か?と言及しています。
そこから推測されることは、その人の自分にとって悪いところを受け入れたうえでの人間関係という物が必要ということではないでしょうか。その人の全てを受け入れ、自分にとって都合の悪いところも容認する。それが出来る人間関係を築きあげなさい。そういうことではないせしょうか。逆にその自分にとって悪いと思える部分があるからその人との関係が築けないようなら所詮それだけの関係と言うことだと思います。
近年、オタクがなんたるかということが世に知れ渡り、オタク文化は日本が代表する一つの文化になってきています。なのであの父親やあやせのような意見を持つ人は少なくなってきています。しかしオタク同士でもこの作品を愛してるから、この作品が好きだからということでその人の見る目を持つことがあると思います。しかしそんな見る目はすぐに解消されるのですそれを示しているのが桐乃・黒猫の関係なのではないでしょうか。あれだけ意見が食い違っても一緒にいて楽しいと思える仲間、こんな仲間たくさん出来ると良いですね。

そんな仲間を見つけるのがサークル活動であり、みんながアニメやマンガについて語り合える、それを形にする。今の自分の夢です。達成されたとき、自分はどう思うのでしょう?そして達成できるのか不安ですかね、桐乃のように勝ち目が無くても足掻く、そんな精神で今後のサークル活動を頑張っていこうと思います。
(ビックリするくらい長文になった上にサークルの話にまで発展しました、祝日ってすばらしいですね、こんなに文章を書く時間があるのですから。携帯では読みにくいかもしれませんね、ごめんなさい。)