初!

皆さん、ただいまです。本日故郷富山より帰って参りました。
さて、今日の更新は特別企画。初の湯ノ浦ユウさんとのチャット会話をお見せしたいと思います。
この企画は湯ノ浦ユウさんのチャット中の一言から始まりました。
「ていうか今日のチャット、読み物として面白いと思うよ(笑)」
ということで、面白いと思うのでtempleやちゃいましたー。
では、こころゆくまでお楽しみ下さい。

湯ノ浦ユウ(ユノユ): こんばんはー
temple: どうもです
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 昨日オールナイトニッポンノイタミナ特番でフラクタルの原案の東さんが来てたんだけどすごい内容話してたよー。
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 今後のオタクはどこに向かうのか見たいな話だった
temple: あれだけ推してましたからね
temple: そんな風になると思ってました
湯ノ浦ユウ(ユノユ): ちょっとねー。オタクの中でもああいう話していったほうがいいなぁ、とは思った
temple: まあ東さんはすこし違った見方をしてますよね
temple: それがアニメだろうと、オタクに対してだろうと
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 東さんはねー、押し付け合うのは不毛だけど理解し合う方向にいけるのが一番いいとは思ってるみたいだけど、所詮は理想論だとおもってるみたいだねー
temple: しかし人というのは理想・目標があってこそ動くものですし
temple: それは偏った知識を持つ立場でも変わらないかと
湯ノ浦ユウ(ユノユ): まあだからツイッターでは戦う、とは言ってたわ。けど理解し合う方向にはいければいいけど「知識の抑圧」は必要ないとも言ってたわ
temple: オタクって個性の強すぎたものだと思ってます
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 旧オタクは「知識量」を持ってアニメは語るものって捉えていて、最近のオタクは「萌え」と「ネタ」の消化になってるから対極化しちゃうんだよねー
temple: 自分はどちらかっていうと旧になるんですね
temple: たしかにやたら簡単にアニメを見たがることにイラッとすることもありますけど
temple: それも1つのあり方と思うことがわかり合うってことなのかなと
湯ノ浦ユウ(ユノユ): そうそう
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 楽しみ方はなんだっていいんだけど旧オタクは「より一層楽しむ方法論」を「知識」としてもってるんだけど、時代は「グッズ」とか「キャラへの欲求」なんかになってるからねー。
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 旧オタクの「知識」っていうのも原作から読み取っていくこととか作家さんのバックボーンを理解することとか、年代ごとの流れから読み取って作品が何から影響を受けた作品かっていうところ見るからね
temple: 結局のところ、抽象的なものを嫌う現代ならではじゃないでしょうか
湯ノ浦ユウ(ユノユ): それもあるし、2005年の「萌え」がアニメの起源だと思っている人も多いと思う
temple: 2005年のアニメが基にこの世界に入った人口が増えてるからってのもあるんでしょうね
temple: しかし、若者の活字離れとかそういうのも関係していると思います
湯ノ浦ユウ(ユノユ): オタクは割とラノベは読んでるんじゃないかな?
湯ノ浦ユウ(ユノユ): やっぱりスレイヤーズとか売れてたしね
temple: なんかそれもアニメの先に理解してたい、っていう欲求からきてるんじゃないかって思うわけです
temple: とくにラノベの大好きなやつに感想を求めても同じ感想しか返ってこないことも多々ありますし
湯ノ浦ユウ(ユノユ): うーん・・・
湯ノ浦ユウ(ユノユ): なんかライトノベルと純文学の溝が大きくなったのも「萌え」からだと思うしなぁ
temple: そうですね
temple: 挿絵で買うってパターンが多く見られますし
湯ノ浦ユウ(ユノユ): ブギーポップとかシニバラとかキノとかの時代のライトノベルってうのは今のとはもう違うもんだしねー
湯ノ浦ユウ(ユノユ): ラノベ界と純文学界を行き来できる作家さんも減ってきてるのかもしれないし
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 若いところだと西尾維新とか日日日とかか
temple: 元々ライトノベルで若い人向けに書いていて、今度は売れたから文学好きに売れるようにしようとしたって感じます
temple: 萌が入ってきてそれを嫌ったふしはあるとは思いますが
temple: しかしそんな中で需要があるから西尾維新とかが売れるのかなって思ったりもするわけで・・・
湯ノ浦ユウ(ユノユ): いやむしろ昔の方が純文とラノベは近かったと思うんだ
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 萌えが来て離れすぎちゃって、今近づこうとしてる
temple: そうですね
temple: 行き過ぎちゃって、何が何だか分からなくなってるってのはあると思うんです
湯ノ浦ユウ(ユノユ): だから文学少女なんて皮肉りが発生するわけで(笑)
temple: ちょ、笑うしかないじゃないですか、近場に信者がいるんでなおさら
湯ノ浦ユウ(ユノユ): あれは斬新過ぎるタイトルだよやっぱり
湯ノ浦ユウ(ユノユ): そんなさ要素でしかなかった「萌え」がいまやそれだけでビジネスになっちゃうわけだからねー
temple: ビジネスって1度当たるとしばらくしたら衰退するもんなんですよね
temple: そう考えると、萌というものが無くなるって考えられたりするわけで・・・
湯ノ浦ユウ(ユノユ): だからねー、今年から来年にかけてアニメは大きな動きがあると思うんだ。ノイタミナなんかは完ぺきな助走つけたわけだし
temple: やはり10年に1度の波がまた来ますか!
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 波にはならないかもしれないけど、萌え離れを画策してる制作会社は多いと思うんだ
湯ノ浦ユウ(ユノユ): もう一度単純なアニメに立ち返ることをすると思う
temple: そこからまた考えていかないといけないわけですね
temple: そしてまたそこから新たな文化みたいなものが生まれる可能性も・・・
湯ノ浦ユウ(ユノユ): それもあるかもしれないけど、目的は単純化だと思うなぁ。脚本能力とかシナリオの厚みがちゃんと見えるような作品作りをするんじゃないかな
temple: なるほど、逆に言うと脚本がだめなのに気づけないといけないってことですね
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 駄目とは思わないけど、結局とらドラくらい極端に感傷的に働き掛けるようなことをしないと脚本のすごさとかって伝わらなかったんじゃないかな。ただ個人的にはとらドラは脚本に隙があったんじゃないかと思ってるんだけどね。
temple: とらドラをしっかり見てないのであんまり口軽く言えないんですが
temple: もう少しキャラごとに複線を回収して欲しかったと思った記憶があります
temple: なんか、大河だけが幸せになりました、見たいに見えなく無かったので・・・
湯ノ浦ユウ(ユノユ): まあ大河と竜司のための話だからいいとは思うよ。亜美好きも「僕がアーミンを救ってあげたい」って完結できただろうし、みのりんは友情をとって彼女は報われてるわけだし
湯ノ浦ユウ(ユノユ): ただ
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 僕が思っているのは亜美とみのりんと北村にしたって、他人の気持ちをエゴイズム満々の解釈で言葉にしたり行動にして視聴者に伝えちゃってるから不自然にみえるんだよね。そのあとにその解釈の裏付けもでてこなくて決定打のないまま進んで行っちゃってるんだよね。
湯ノ浦ユウ(ユノユ): それが若さゆえのリアルさだってことならそうなのかもしれないけど、理屈としては非常に不自然。
temple: ・・・さて、まさか昨日の動画配信と同じ感想を思うとは・・・
temple: 何故、とらドラの話になったし!!
湯ノ浦ユウ(ユノユ): いやまあはなしたかったから(笑)
temple: まぁあの動画配信もそんなのりだったんでしょうね
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 僕はマギカの話がしたいよ(笑)
temple: 見てないんで、勘弁してください(泣)
湯ノ浦ユウ(ユノユ): じゃあ違う話題を
temple: なんかおかげさまでISの感想書いてから、ブログのアクセス件数伸びた気がするんです
湯ノ浦ユウ(ユノユ): おー、よかったじゃん!
temple: 更新しようと思ったら、昨日で1000丁度くらいだったのが今日さっきみたら1100行きそうだったんですよねぇ
temple: てか今確認したら1101(1月9日午前0時現在)でした・・・
湯ノ浦ユウ(ユノユ): すごい伸びだ!このままアニメの記事をいっぱいかいとけばOKじゃないか!
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 他にも岡田麿里さんの話とかもしたいけどね(笑)
temple: その話はまた後日で
湯ノ浦ユウ(ユノユ): 今年は岡田さんの一年になるだろうってことで今日はまとめとこう
temple: はい、おつかれさまでした
湯ノ浦ユウ(ユノユ): お疲れ様〜

ということでした。楽しい時間でした。またやりたいと思ったりします。今度はjioさんも交えてやりたいですね。では、今日はこの辺で失礼します。